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時々死を想う

待てよかし、やがて
汝もまた憩わん


歌舞伎界のホープ勘三郎の死を知ったときは驚いた。
と言うか以前に取材を受けている映像を見て復帰会見をしているのかと思ったものだから言葉が出なかった。
勘三郎は弟の出身高校の先輩で学祭のときに壇上で話をしたり、
担任の先生が「彼は歌舞伎の仕事をしながらも勉強はしっかりやっているのにお前達は何をのんびりやっているのだ。」と一喝された話などを聞いたことがあった。
斬新な舞台で注目を浴びたり、金比羅歌舞伎の公演をしたり興味がなかったわけではないけど、
まぁ、機会があったらなんて思っていた。
それなのに、なんと早急に人生を走り去ったことだろうか。

この年の瀬にきて大きな事故があったり、思いがけない訃報を耳にしたりすると「死」を考えざるおえません。
「メメント・モリ」
暫く忘れていた死を想えという教訓的な言葉を思い出すが、人はそうそう死の実感を持って生きているわけではない。
人の死を耳にしてすらも自分の死の実感はトンとわいてこない。
例えば死で完結される苦しみに
肉親や大切な人、この世との決別に
すべてが終わってしまいその先は何もないという無に
死への恐怖感はつのっていくのだ。

京都の金戒光明寺から真如堂に抜ける墓地を友人と歩いた時の何ともほっこりした気持ちになれたことに驚いたことがあった。
それこそ、生きることこそ苦しいことでもう少し待てばやがて静かに憩うときがやってくるのだよ、と墓のぬし達が語りかけていたのかもしれない。と思い出した。
死は恐怖ではなく魂の憩いなのだろうか。
誰も経験したことがないから正しい結論など導けない。



たとえば   さだまさし&小田和正

今は亡き筑紫哲也さんのお気に入りの曲をどうぞ。





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2012.12.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑念



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Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
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1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
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