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京都で思ったこと

久しぶりの京都は桜にはまだまだ早く、梅の花ですら五分から七部咲き。
花の季節の狭間で空いているかと思いきや、
学校が春休みになったせいかお金も暇もある大学生とやはりその二つを兼ね備えた中年の男女であふれておりました。
世の中は変わったものだと人で溢れている京都の繁華街を歩いていて感じます。

それでも1年のうちに数回、数日を京都で過ごす時間はすでに私にとっては必須。

行方不明の時間   茨木のり子

人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです

三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

中略

目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ


新幹線に揺られて2時間半。
その時間と距離感。そして京都という町が私を解放させてくれる。
どこでもドアではだめかもしれない。


今回の瞑想の場所は金福寺。
風のない穏やかな日差しの松尾芭蕉と与謝蕪村ゆかりの寺は訪れる人も少なく鳥のさえずりが響く静かな寺。
陽だまりの濡れ縁では三毛猫が目を閉じて日向ぼっこをしながら瞑想している。

日差しの暖かさ、日陰の冷ややかさ。
こんな静かでいつもの時間軸とかけ離れた風景の中にいると、たとえ気持ちを逆立てて己の感情の起伏に身を持て余したとしてもさえずる鳥さえ気づきはしない。
数歩藪に入ったところで命を落としても数日、十数日、もしかしたら数ヶ月、誰にも気づかれずに眠っていられるかも知れない。
都会の密室で誰にも気づかれずに何日も過ごすよりずっと安らかでいられるだろう。
自らの死に場所を選べたらいいのに。

絵を描きにきた若者。幸せそうな男女二人組み。そして私の3組しかこの寺を散策している者はいない。
よき時間を過ごせました。



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2012.03.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 京都



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kajika

Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
遅速ながら結構長く続いているものです。
日々の記録も兼ねて続けたいと思っています。

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