涅槃寂静

またもやご無沙汰の日記になってしまった。

新店舗を立ち上げたのがこの1月。
それからずっと有給も取れずにがんばって11ヶ月が過ぎた。
春の桜の時期に夜行日帰りで吉野、御室の桜を見に出かけて以来、奈良京都から遠ざかっていた。
職場ではやっと途中採用の新人社員が配属になり頼もしい限り。
すでに秋の京都の宿泊を随分前に予約していた。
今年は結局2回だけの京都行きになる。
雑誌を買い込みどのように動こうかと思いをはせている日々。

そろそろ今年も終盤になり、喪中のはがきが舞い込む時期になった。
ご無沙汰している親戚の中に不幸があったとはがきが届いた。
母のいとこに当たる人だがずっと若くまだ60代だったはず。
おしゃべり好きの明るい人だった。
連絡を頻繁に取る仲ではなかったが、元気にしているはずだと思い込んでいただけに母のショックは大きい。
もちろん私も驚きとこみ上げる寂しさは言葉にできない。

せめて元気なうちにもう一度会って話がしたかったものだと安易に想うが、
人は死を前にして何を思い、誰を想うのであろうか。
若く恐れを知らぬときには人生の暗闇になど目をやる必要もなく、
明るい希望がないにしても日々を安穏に過ごしている。
人生の坂をいつの間にか上りきり、
下り坂に差し掛かり先人達が病に倒れ始めたときに生きることの本当を垣間見る。

釈尊の出家のきっかけをつづる「四門遊観」または「四門出遊」。
人間存在から若ささや美しさや愛や情念や富や地位や世間的能力などの移ろいゆくものすべてを根こそぎかき出してみれば、後に残る骨組みは万人共通の老・病・死があるばかり。
誰でも老いに直面し、病に直面し、死に直面して初めてそのことに気づく。
その一切衆生の苦から免れる道を求めて出家した。

老にしても、病にしても、それこそ死にしても疎ましく思うのは
若さには老いに対する
健康者には病者に対する
生きているものには死者に対する
無意識の優越感、傲慢な思いがあるからなのだ。

老・病・死の骨子にさまざまな情念の肉付けされた「生」を全うしなければならないなら
揺らぎながらもしなやかに、そして最後は穏やかに、
そして後に残る者に生きることに対する勇気を与えられたらすばらしいと思うのだが。




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2011.11.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑念



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