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櫻紀行 京都三十三間堂

吉野櫻



日曜日の午前中をかけて吉野散策を堪能し、帰りがけに大好きなひょうたろうの柿の葉寿司の郵送頼む。
土産物屋やお食事処はどこもいっぱいで列をなしている。
昼抜きは覚悟の上。
竹の子の天麩羅と炒った山栗を食べながら吉野山を下りる。
きっとまた来年、年が明けた頃になれば来たくてウズウズするに決まっている。
あと何度吉野の櫻を見れることだろう。
12時前に吉野の駅についてみれば、驚いたことに人で溢れかえっている。
どの地も良い季節には人混みをいかに避けるかが問題です。
昼前に京都に向かって電車に乗り込めば、疲れて眠りに落ち込みカパッと口をあけて寝ている自分に気づくが、みっともないので目をあけずにいればまた大口をあけて寝ている。


京都の櫻の盛りには微妙に遅い。
今回の目的地は三十三間堂と仁和寺。
京都駅の進々堂でアイスコーヒーを飲んでからバスに乗り込む。


三十三間堂

三十三間堂にはいつものように1001体の千手観音がいつものように静かに列をなして立っている。
私の京都旅の最初の頃から今まで、浮かれていた自分、めげていた自分、喜怒哀楽の激しい心根を千手観音は半開きの遠い眼差しで見てきたのだ。
ここの阿修羅は興福寺のものと違って憤怒の表情で立っておられる。
しかし、阿修羅も千手観音と同じく手を合わせている。
どちらからもいたわりの眼差しで見られていると思えて涙が出てくる。
今までもそうだったように、これから先もいたわりの眼差しで人々を見て行くのかを思うと感動するのだ。
人は100年もしないうちに息絶える。
入れ代わり立ち代わり、世代を超えてここを訪れる人をただ慈悲深く手を合わせて見ている仏像にやさしい心が宿っていてもおかしくはない。

三十三間堂

三十三間堂のしだれ櫻がまだ咲いていた。

当たり前のように時が過ぎ、季節が移り変わり美しい風景を当たり前のように愛でている自分。
実はそれは一種奇跡のような貴重な時間だといつか思い知る時がくる様な気がしてならない。




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2011.04.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行



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Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
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