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法隆寺~矢田寺

文芸春秋の特別号、季刊夏号は「もう一度 日本を旅する」。
様々な文人、有名人がそれぞれの旅について書いている。
十人十色の旅の仕方があるものだ。
名所を巡る人。何の変哲もない田舎町の日常にこそ旅の真髄があるという人。
感動する対象も自然であったり人であったり色々。

日常から離れた場所を歩くと時々、何かしらが心のガードを破って自己の奥底に落ちていくものがある。
映像であったり、匂いであったり、人の話し声であったり。
それは時が経てば経つほど、その時の旅の印象そのものになっていくものだ。
静かで深いその印象を求めて時々旅に出たくてうずうずするのかもしれない。







 法隆寺


法隆寺




法隆寺はいうなれば宝の宝庫だ。
広い敷地の建物もその中にいる仏像も全てがお宝。
一通りの建物を巡って歩けばお宝でお腹がいっぱいになる感じだ。
半分も見ないうちにしまった!見方を誤ってしまった。と思ったが貧乏性な私は今更仕方なし。
どんどん仏像を見て行くとそのうちにキャパの少ない私は何が何だかさっぱり判らなくなる。

金堂の暗闇の中央にいる釈迦三尊像。
日本離れした、大陸、それもギリシャの像を連想させる謎めいた微笑み。
奈良の仏像に共通する顔立ちだ。
五重塔の初層の釈迦涅槃にしろ、金網越しに遠目で見ると感激は半減する。

それに比べて、唯一心を震わされたのは、2m近くあるスラリと神々しく佇む百済観音像である。
金網に囲まれていない事を差し引いたとしても、その姿は圧巻でつい声がでてしまう。

亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」においても、

『一度のたびには、ただ一つのみ仏を。
そこへ祈念のために一直線にまいるという気持ち、私はいつのまにかそれを正しいとするようになった。』


と書いている。
その通りだ。
せめて一つの寺院に一つか二つの仏。
そうでないと素晴らしいその姿も記憶の網からすり抜けてしまう。
再訪するときには一直線に百済観音像に会いに行こう。


 矢田寺

法隆寺からバスでJRの法隆寺駅まで戻ったら、隣の停留所から矢田寺行きの臨時バスが出ている。
法隆寺に行く前にしっかりチェックしていた私はすぐに矢田寺行きのバスに乗り換えた。
しかし、このバスに乗り込むのは私一人だけ。
終点の矢田寺まで誰も乗ってこなかったので、まるで貸切バス並みの贅沢。
矢田寺はあじさいで名高い寺と聞く。
バスは山のすそのに沿った道をひた走る。
寺はたいがい山にかけてあるのが普通だけど、結構険しそうな山が続く。
いやな予感は的中。
左手の山に入る道に曲がって真っ直ぐに上る途中が終点、矢田寺だった。


矢田寺




終点からまだ山に真っ直ぐに続く道を登って行く。
そしてやっと寺に入る階段に到達。
段差のある階段を曲がりくねって延々と登るとやっと寺の本堂が見える。


矢田寺



矢田寺の本尊は元は奈良時代の十一面観音像、それが平安時代に錫杖を持たない地蔵菩薩に変わったそうな。
その十一面観音と地蔵菩薩が仲良く並んでいる。
ボランディアの男性がその言われを丁寧に教えてくれた。
境内はそれほど広くなく、何とも安心感のあるお寺でした。
山にかけて沢山のあじさいが植えられている。


矢田寺



矢田寺


矢田寺

珍しいマキバブラシノキ。(フトモモ科) 赤い部分がまるでコップを洗うブラシに似ている。



奈良は京都人に言わせると田舎だというそうな。
本当にのどかな地だ。
密集していないので空が広い。
住む人もなんだか素朴だ。
つられて自分もおおらかな気分になる。
柔らかさを取り戻しにきたような、そんな気分になるのだ。




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2010.07.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 奈良



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Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
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1年に数回出かけています。

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