8月に想うこと。

前回の日記からカレンダーは1枚ページがめくられすでに何日も経ってしまった。
敗戦を迎えて64回目の夏を迎えている。
人の命の扱いが勝利国と敗戦国とでこうも違いがあるものかとテレビの画面を見ながら驚くのは毎年の事だ。
これ程価値観に相違がある国が実は同盟国であり、この国の核の抑止力の傘に私達は頼っている事ってどうなんだろう。と毎年思う。
唯一の被爆国として確固たる意思の元に独自の路線で進んでも良いものを、と思ったりする。
戦争体験者の数が少なくなっている現実。
しかしあの時代、国のほとんどの人が地獄を見たと言う事実。
その子孫としてこれからを生きる人間も忘れてはならない。

                 
                      me5186[1]


白石一文の「一瞬の光」。読み終わった。
分量的にも読み応えのある1冊。
誰もが社会に出ると企業戦士の一員として歯車に組み込まれていく。
会社の中で教育され(もしくは洗脳され?)歯車は自然に回りだす。
だんだん理想とか野望を抱いて上を目指し動き出す。
理想や野望は必然的に人間関係の破綻をじわりじわりときたすもの。
仕事に自分の全てを賭けて来た主人公橋田はもがきながらも自分にとって大事なものは何かを模索する。

何か大事が起きたとき、
人は自問自答して、多くの人は「誰かがことにあたろだろう」と考えるが、
稀には「なせ私がことにあたらないでおられよう」と考える人がいる。
この両者のあいだに、人類の道徳的進化の全過程がある。
この「なぜ私がことにあたらないでおられよう」と考える人間こそが道徳的進化を果たす。
そういう人間たちの集積が、この社会を豊かにし、そして安らかにするのだ。


生の最中、我々は死の中にいる。
誕生の瞬間から常に人間は、いつ死ぬかわからない可能性がある。
そして、この可能性は必然的に遅かれ早かれ既成事実になる。
理想的にはすべての人間が人生の一瞬一瞬を、次の瞬間が最期の瞬間となるかのように生きなければならない。


今正に毎日を何も考えずに無事に1日を終わらす為だけに過ごしている日々。
自分は何を大事にしたいのかなど考える隙間など頭の中にはない。
多分いつの間にか感覚が麻痺して鈍っている。
暑さのせいや、忙しさのせいにしているけど実は踏みとどまれない自分のせいだ。
日常を離れ好きな旅にでも出れば取り戻せる気がするがおいそれとは出かけられない。
こんな時は読書に限る。
大事なもの、大事な人、大事な感情。
自分のコアな部分の輝きを濁らせないように時々は磨かないとね。


スポンサーサイト

2009.08.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kajika

Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
遅速ながら結構長く続いているものです。
日々の記録も兼ねて続けたいと思っています。

月別アーカイブ

フリーエリア

全記事(数)表示

全タイトルを表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索