スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | | スポンサー広告



楢山節考 百年読書会

随分昔に映画でやっていたのを知っている。
昔、食うや食わずの時代の農村に実際あった話であろう。
暗くて悲惨な話のようで映画を見ることはなかった。
しかし親を背負った息子が雪のちらつく楢山に捨てに行く映像だけは脳裏に焼きついている。
息子役は今は亡き緒方拳、母親役は坂本スミ子。
テレビでも放送されていたように思う。

その時代、親を山に捨てる悲劇は貧しい農村では坦々と受け入れられていた。
それは生き抜いて行くため、子孫繁栄のため、生き物としては当然の選択。
69歳になるおりんは、不慮の事故で嫁を亡くした息子辰平に後添いが決まったことで思い残す事もなくなり、晴れて楢山まいりに行くことを決める。
以前から山に行って坐るむしろも作ってあったし、行くときの儀式で使う振る舞い酒も準備してある。
山に行った翌日家族の者がお腹いっぱいに食べれるだけの椎茸、岩魚の干物、白萩様(白米)も誰も知らないうちにしっかり用意した。
おりんの心には迷いがない。
気後れしている息子を叱咤して自分を楢山に連れて行く。
おりんには心の葛藤は無かったのだろうか。
もっと生きたいとか死の恐怖などは無かったのか、そういった記述は一切無い。
根底には自分の死がひいては息子はじめとする家族のためになるからこそ様々な欲望や感情を削ぎ落とし楢山まいりに行こうとするのだろう。
楢山には多くの年寄りの死骸があちこちにころがっている。
山影にむしろを敷いておりんは息子辰平の背を押して別れて行く。
息子ですらおりんの意思を揺るがすことは出来ない。
一途で強い意志を持った老婆である。
息子が山を降りるときには雪が降り始め、おりんは白狐のように一点を見つめて念仏を唱えている。

山に一人残ったおりんは死を迎えるまで様々な葛藤があったのだろうか。
誰にも知られる事もなく、誰に気兼ねする事もなく、泣いたりわめいたりしたのだろうか。
それとも高僧のように念仏を唱えながら即身成仏になったのだろうか。

寿命が延び長寿になって生きながらえる現代と、自分で死の選択をする昔と。
どちらがいいとも一概にはいえないそれぞれに苦しみは存在する。


スポンサーサイト

2009.05.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kajika

Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
遅速ながら結構長く続いているものです。
日々の記録も兼ねて続けたいと思っています。

月別アーカイブ

フリーエリア

全記事(数)表示

全タイトルを表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。