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梅雨の合い間、久しぶりに日差しが射し気持ちのいい風が吹いた今日。
職場の裏手にそびえるマンションに住むわが社の社長のお母様が亡くなった。 救急車が来てるとは聞いていた。どうしたのかしら、などと話してたが。 数日前まで元気に手押しのカートを押しながら職場にもやってきたのに。 93歳という高齢でいつお迎えが来るかと話していたのだから仕方ない。と言う。 死を迎える当日までそれなりに普通に過ごし、苦しまずに逝けたと言う。 確かにその通りでしょう。納得させるには一番の説明です。 しかし、どんなに高齢であっても一人の人間の存在が消えた事には違いない。 それもお見事なほどあっけなく・・・。 死とはこんなに身近で唐突にやってくるものなのだ。 わかっていた事ながらある意味ショックです。 死とはやはり敗北に通じるものを感じるのが正直なところ。 人はいつか死と言う敗北を受け入れることになるのか。 それとも誠実に、苦しみを乗り越えながら生きれば死は敗北でなく幸せなものになるのだろうか。 年を重ねるにつれ年長者が一人、一人この世を去って行くといずれ自分の死は再会の機会と感じられ昔のような恐怖ばかりではなくなってきているのは確かだ。 生きていく延長線上に終着点なのか、通過点なのか誰にも「死」という停留所があることは確かな事。 |
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自分の身の回りにも、身内の不幸が続いています。たとえ今まですぐそばにいた人が亡くなったとしても、お通夜や葬儀を終えたあと、すぐに仕事に戻ってきて、頑張っている人を見ると、自分もこうしていられるかと心配になります。
まだまだ先の話であってほしいと思っていますが、ふと考えてしまいました。 確かにそうですね。
時間は無常なもの、立ち止まる事をさせてくれません。 しかしだからこそ人は生きていけるのかもしれない。 人の死に接する度に「命のリレー」と言う言葉が頭をよぎるようになりました。 母の言葉
こんばんは♪
以前祖母が亡くなった時に母が、 「人は生きたように老い、生きたように死んでいくのよ」 と言いました。 深い言葉だと思いました。 かたちにならないものは、ずっと続いていくような気がしますね。 こんばんは、aopuさん。
御自分の親の死に対面した時にそんな言葉が出るって凄い事ですね。 そしてそれは真実なのでしょう。 生き様が大事だということ。 わかっているようでなかなか実践できない難しい課題です。 |
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