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第七回 五木寛之 ふたり塾 その1

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8月26日。ドキドキしながら誘ってくれた仙台の親友と東京駅で待ち合わせて二人塾に参加してきました。
5~6倍の狭き門をくぐった10組たった20人の参加人数です。
友人の彼女は先生に対する質問事項など用意周到に段取りしてきていたが、私はいくら考えても思い浮かばず出たとこ勝負。

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大きな円卓には先生の直筆の原稿が並ぶ。
原稿によっては字体を変えて気分を変えて新鮮な心構えで執筆されているそうだ。

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座談会の前半は17の用意された議題のうち参加者の希望の一番多い「憂鬱について」と決まった。
集まったメンバーは20代から戦時中引き上げを経験された80代のもと看護婦をされていた方まで様々にばらけている。
そんな中でも親や兄弟の介護をしていると言われる人の多いこと。
苦難に立ち向かいながら五木先生のエッセイに救いを求め読破し、この日に生の声を聞いてその言葉を糧に立ち向かおうとする熱心なファン達だ。

話は生きにくい今の世の中の話からいかに心療内科にかかる若者の多いこと、心を病んでいる人の多いことからこれからどう生きていけばいいのか。と言う話にもなった。

憂う心、鬱な気持ちというのは病気ではなく人が生きる上に必要な人間的な気持ちであると言われる。

人が生きるには究極二つの選択がある。
一つは心を固いカバーで何重にも固めて、明るい事だけに目を向け、負な部分に目をやらずに生きるか。
二つ目は自己の鬱を認め萎える心を認めながら、しなる枝のような心で生きていくか。
実際、人はこの二つを行き来しながら生きているのだと言う。

人は生きているだけで価値がある。
自分が思うように生きていなくても、失敗を重ねて生きている人も生きていることに第一の価値がありどう生きているかは二の次。
生きていることだけで必死に努力していることであり、沢山のものに支えられて奇跡的に生きていることなのだから。

これが五木先生の持論であった。

私は日々をもがきながら生きていて、まだまだどう生きるかにこだわりを持っている。
その年齢に達していないからか、思慮が足りないからか暫くはもがき続けるだろう。


五木先生は修行僧のようであった。


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2007.08.30 | | コメント(0) | トラックバック(1) | 五木寛之ふたり塾



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