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奈良 吉野へ

 2010-04-25
関東ではすっかり葉桜になったころ、半年ぶりに奈良京都に出かけた。
ネットで調べてみれば何とかまだ桜が見られるとの事で新幹線に乗ってもどこに行くか、悩んでいた。
お天気の方もどうも怪しい。
しかし、来年に必ず櫻を見られる保証はないし。吉野行きを決定したのは名古屋に着いた頃。
行き当たりばったりの旅の始まり。


吉野桜

奥千本のそのまた奥、西行庵までの山道はなかなか険しい。
数日間降っていた雨でぬかるんだ道で靴もパンツのすそも泥まみれ。
尾瀬の山道を思い出す。


吉野



櫻はすでに盛りを過ぎ、花びらを散らす木の下でお弁当を広げる人達で賑わっている。
西行が修行をした簡素な庵は、毎年この時期だけ賑わうのだろう。
今の世の中、人里離れ山中でただ一人修行することなど不可能に近い。
時々自分の世界を飛び出して知らぬ人ごみの中の孤独を味わうぐらいがよいところだ。
特に最近ではテレビの宣伝効果もあり、どこに行っても観光客で溢れている。
人は何故、集団になると騒がしく礼儀知らずになるのだろう。
旅の恥はかき捨て。と言わんばかりに・・・。


とくとくの清水


とくとくと落つる岩間の苔清水

汲みほすほどもなき住居かな             芭蕉


西行庵の近くにある有名なとくとくの清水。



吉野 


ねがはくは 花の下にて 春死なん 

そのきさらぎの望月の頃           西行




西行のことを書いた白洲正子の本の一節に心に残る一文がある。

櫻の花を友としたのと同じ心で、西行は、ひとり居の寂しさを愛した。
吉野山へ入った後の歌は、一段と風格を高めたようであるが、それは自分自身を深く見つめる暇と余裕を持ったからであろう。
人間は孤独に徹した時、初めて物が見えてくる、人を愛することができる。
誰がいったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。



櫻の花がなくてもいい、次に来る時は静寂を味わえる頃に来たいものだ。
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