今年の櫻

どうも下がった自分を上げられないこの頃です。
毎日の仕事や生活はいつもと同じ様にこなしていけるのに一人になった時、気力が下がったままです。
それを年のせいにするのか疲れのせいにするのか、最近はやりのメンタルのせいにするのか。
どうでもいいことなんですけどね。

消費税もあがり休みの水曜日、レディスディだと思って映画館に行ったらこのシステムはなくなったそうで。

サクラサク」を見てきました。
たった一人で年をとってぼけて死ねるならそれも仕方ないと思うかも知れないが
人と関わりながら退化して意識が薄らいで満足に自分の始末ができなくなる悲しさにずっと恐れを抱いていた。
しかし生きるとはそういうことでその悲しさも宜しと言い切れる強さはきっと年と共に備わるのかも知れない。
受け入れる、受容するとは強さである。つくづくそう思いました。
寂しさや悲しみや苦しみに凝り固まるとそこから先に進めなくなってしまう。
柔軟でなければ。楽しいこともしっかり楽しいと感じられるように。
固まりやすい私は日々自分に言い聞かせながら過ごさないと周りも自分も見えなくなりやすい。
まことに不器用な人間だから。


今年は近所の櫻ぐらいで好きな京都、吉野の櫻にはいけません。
その代わりに映画の中で満開の櫻を今日見て来た次第です。




いくたびの桜



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2014.04.09 | | コメント(4) | トラックバック(0) |



待っていてくれる人

自分を待っていてくれる人がいると、何だかうれしい。

待ち合わせの駅の柱で立っていると小走りに走って来てくれる人。
人ごみの中で一生懸命探して近寄ってきてくれる人。
旅から帰ってくるのを駅で待ち構えてくれる人。
暫くご無沙汰してたのに、ひょんなことで再会したことを歓迎してくれる人。
いつまでも待っているからと言ってくれる人。
そんな人がいてくれると生きていくのもまんざらではないと思える。
生き続けることは時々とてつもなく辛いと感じることがあるけど、
ちょっとしたことが支えになってもう少し頑張れると思えるものだ。


そろそろJRの宣伝で京都の桜の映像を目にすることが増えてきた。
そのせいかどうかわからないが暫く前に記憶に深く残る夢を見た。

京都で電車に揺られてひなびた駅に降り立つ。
券売機は1台だけの無人駅。
降り立つ人は少ないが、そこにはステキな宿泊施設がある。
丘陵に点在するわらぶき屋根のコテージ形式の旅館。
私には分不相応な高級な旅館で、
泊まることは勿論出来ないけどフロントで敷地内の桜を見せてほしいと頼んで中に入った。
暫く行くと1本の清楚な桜の木にめぐり合う。
緑の下草と淡い桜色のコントラスト。
決して立派ではないまだ若い桜の木。
「あぁ、私はこの桜に会いに来たのだ。この桜も私のことを待っていてくれた。」
近寄るでもなくその場で立ちつくしてその桜の木を感慨深く見ている。
たったそれだけの夢だったが、なぜだか深く心に染み入った。
何日も経った今になってもその場面を思い出すだけで暖かく思える。
思い込みかもしれないが、その時桜は確かに私だけを待っていてくれた。

待っていてくれるのが人でなくても、
それがたかが夢であっても、
こんなに幸せな気持ちが続くとは。
桜はやっぱり魔力を持つ花なのかも知れません。


春ふかみ 枝も揺るがで 散る花は 風のとがには あらぬなるべし

                        西行  
    



 

2013.03.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) |



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Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
遅速ながら結構長く続いているものです。
日々の記録も兼ねて続けたいと思っています。

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