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お気に入りのドラマ

「ツバキ文具店鎌倉代書物語」

好きで毎回ビデオに撮ってみていたドラマが終わった。

手紙を書くことなど珍しくなったこの時代。
便箋やペンにこだわっているところも昔の自分を思い出して懐かしい。
依頼人の思いを乗せて手紙を代筆するしごとなどあるのかどか知らねども。
優しい人間関係や想いがとても心地よい。
血縁関係であっても人の深い想いなどわからないもので。
後悔のない人生などない。
後悔に泣きぬれてばかりでなく、今この時を楽しもう。
ハラハラと舞う桜の下で集う友人のやさしさ。

散る桜 残る桜も 散る桜   良寛

最近のテレビ番組はお笑いやらクイズ番組やら。
ガチャガチャしていて耳障りなものが多い。
サスペンス物もいつの間にか寝入ってしまって犯人が分からないうちに気付くとニュース番組になっている。


もう一つ。異色の昼ドラもビデオで撮って週末にまとめてみている。

安らぎの里

倉本聰の脚本というだけでそそられる。
往年のそうそうたるキャストもすごい。
中島みゆきが主題歌を歌っていることがとどめである。

有料老人ホームに集う往年の盟友が織りなすドラマ。
引退したからか、この老人たちは自分に正直で何ともかわいい。
すったもんだを織りなしながら命の終焉に向けて老いを受け入れて覚悟を整えていく。
手本になるようなドラマで面白い。

親の介護もしながら自分の将来への不安を抱きつつ、慌てないための覚悟をしていかなければと思っていたところ。
同じような想いを持っている人が多いということでしょうか。




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2017.06.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常



悼む



大岡信を悼む詩          谷川俊太郎



本当はヒトの言葉で君を送りたくない

砂浜に寄せては返す波音で

風にそよぐ木々の葉音で

君を送りたい

 

声と文字に別れを告げて

君はあっさりと意味を後にした

朝露と腐葉土と星々と月の

ヒトの言葉よりも豊かな無言

 

今朝のこの青空の下で君を送ろう

散り初(そ)める桜の花びらとともに

褪(あ)せない少女の記憶とともに

 

君を春の寝床に誘(いざな)うものに

その名を知らずに

安んじて君を託そう




少し前に亡くなった谷川俊太郎の友人の大岡信を悼む詩である。
以前亡くなった友人の肩こりさんが言った言葉が思い出される。
人の言葉の限界というか、表そうとしても言葉、言い回しはどれも当てはまらないことや想いがある。
言葉にしてしまったら薄っぺらになってしまって興ざめしてしまう想い。
でも言葉にして残しておかないといずれ忘れ去られてしまう想い。

朝日新聞でこの詩を読んで肩こりさんを送った豊田の雲一つない抜けるような青空を思い出した。
この5月で、すでにあれから3年の月日が流れた。








2017.05.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 花鹿通信



近況報告Ⅱ

またまたお久しぶりの更新です。

仕事は続けています。
介護はますます厳しい時期に到達しています。
そして限界を押し上げている私は疲れはたまっているもののそれなりに元気に日々を送っています。
ちょうど1年前、愛猫を見送ってからも押し寄せる難題を周りの協力を仰ぎながらなんとか乗り切っています。
一番頑張っているのは何といっても病床にある父母であるのです。
自分だったらすでに泣き言を言っているだろうに。
生きるとは苦しいことです。

ということで連休でも何にも特記することもない毎日です。
それはそれでよいことなのですよね。

親の介護をしながら、仕事で高齢者と触れ合いながら自分の先々を考えます。
痛感することは、何せ一人で生きることに慣れないといけないということ。
たくさんの人とかかわらないと生きていけないのが人間ですが
基本は一人だということを自覚すること。
人になるべく迷惑をかけずに生きていくにはなるべく自分のことは自分で。
そしてせめて人前では明るくいること。
媚びへつらうことはもともとできない人間ですが、嫌われる人にならないことは大事です。
歳を取ってからも世渡り術は必要です。

今は
何といってもまだ仕事ができること。
人に必要とされていること(多分?)は日々の支えになっているのでありがたいことだと思う毎日です。

まだしばらくは周りに目を向けず、前だけを突き進む日々が続きます。
そういうときもあるさ。と割り切って毎日を送っているのが現状です。



2017.05.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常



近況報告

ずいぶん放置していました。

介護の方はますます荷が重くなり一人がグループホームで生活しているものの褥瘡が治らず悪化中。
一人は転倒による硬膜外血種で手術入院中。
自分の仕事はアップアップしているものの継続しているので、いつ辞めるか時短で続けるか決めなくてはいけない状態で。

介護の詳細など語っても仕方ないことですが、
つくづく思うことは。
自分で決めない限り、体力がもつ限り限界という境界線は少しずつでも押し上がるものなのだということ。
思えばほぼ1年前、親の介護と猫のハナの臨終の間際の世話で手一杯になった時、神様助けてくださいと祈ってしまった。
多分ハナは察して時をみはらかって旅経ったと私は思っているので二度と祈ることはしないと思っているのです。
黙々と、ただ黙々とやれることを精一杯やるのです。
そしてこれからの自分の生き方を学ぶのです。
押し寄せる老いは仕方のないことだがより良く生き続けるには。
どうしても自分でできなくなったら、どこにどう頼って子供に迷惑かけないようにすればいいのか。
それを今、親は身をもって教えてくれている。

そろそろ桜の季節になろうとしています。
今日などは雨が降って底冷えしているけど桜の木はうっすらとピンクがかり暖かい花の季節の到来を教えてくれている。
毎日通う母の施設は川沿いで桜が咲いたら花見の人でにぎわいそうです。
良くなったら二人を連れていつもの桜の並木に連れていきたいと車を走らせながら思っているこの頃です。




2017.03.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常



年の初めだけどしばらくは同じ日々が続く

新しい年が始まった。
年末年始は仕事が休みでも落ち着かない。
元旦もどこかで救急車のサイレンが響いている。
慣れっこになっているその音でもあの車の中では誰かが命のやり取りをしているのかもしれない。
忙しく行きかう健常人に反し、ひそかに家で、病院で病と闘い続けている人々がいて
病院で迎える年末年始に何を思うのだろうか。

思えばこの年まで長い間、私は親に守られて不安もなく過ごしてきた。
その親が年を取り、弱り、老いていくのを今度は私が守り助けている。
生き抜く過程の必然ではあれ、暗い先行きを見届けることに潰されそうになる。

親が入院してから車で移動することが多くなった。
段取りを考えて効率よく動かないとこなすことが出来ない。
車の中で最近は音楽を聴かなくなった。
心も無にする為か、疲れているからか、明日の予定を考えるためか。
多分どれでもない。
しばらく帰ってこなかった娘が年末年始で帰ってきているときに
宇多田ヒカルの「Fantôme」を買って車で流した。
二人で聞いているときにはまだ気がまぎれているのだが
一人で夜、病院の帰りに「花束を君に」「真夏の通り雨」など聞いているとこのまま走ってどこかに行きたくなってしまう。
夜の高速を走って誰もいない海でも山でも、ここでないどこかに。


人は結構強いもので、もうだめだと思ってもまた歩き出せる。
じっとしていると落ち着かず何かに追われるように動き出す。
動いていれば少しは落ち着いていられる。
しばらくは気持ち的にゆったりできる時間はないかもしれないが
これも受け入れて今年も生きていくのでしょう。


PS
気にしてくれてありがとう。
頑張ります。





2017.01.05 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 雑念



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プロフィール

kajika

Author:kajika
吾唯足知 (龍安寺のつくばい)
京都が大好き。
1年に数回出かけています。

京都旅行記から始まったBlog。
遅速ながら結構長く続いているものです。
日々の記録も兼ねて続けたいと思っています。

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